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#思考整理備忘録
2020-12-26 15:51:24
取り置き、注文
取り置き、注文

 

どこにどんな線引きがあるのか私も曖昧なので、これはただのぼやきになってしまう。と前置きしておく。

本屋を日常使いしている方にとって、取り置きや注文は珍しいことではない。それに対応する本屋側もまたしかり。なので、暗黙の了解というかがあるように思う。うちでそれらをする方は大体が顔なじみの方。うちは新刊ががんがん入ってくるような店ではないので、お待たせすることが多い。けれどお客さんはそれをわかった上で、急がないよ〜と一言伝えてくれる。お待たせしました!と伝えると、そう遠くない日に取りにきてくれる。DMなど連絡をとれる手段からお問い合わせされることもあり、きっちりとした注文書のようなものを用意していない。

 

もちろんうちでのお取り置きや注文が初めての方もいる。ほとんどが問題ないのだが、時々戸惑ってしまうことがある。連絡もなくお取り置きから1年以上経ってしまうとき、注文をされたのに取りに来られなかったとき、別のところで買いましたと無邪気に言われたとき、取りに来られたかと思ったら買わずに帰られたとき、、。行き場のない一度抜かれたスリップを手に持ちモヤモヤが残る。私の心が狭いだけなのだろう。

小さな信頼関係を築いてきたつもりだが、そんなものはじめからなかったのかもしれないと思い知らされる。在庫を保管する棚にずっと置かれているそれを見ながら、君(本)は何もわるくないよ、届けられなくてごめんねと思う。

 

取り置きや注文にも多少なりと所作があるはずと思っている。でもそれはきっと知らない人にとってはそんなこと聞いていませんよ というものだろう。だからこそ店はどんな姿勢で対応すべきなのだろう。その人たちの自尊心を傷つけず、次への経験として伝えることはできないのだろうか。でも結局はそんなことこちらの自己満足なのだろうか。

 

2020-12-15 21:17:42
図書館
図書館

先日Twitterで、ある図書館が司書の確保が出来ず、一部のサービスを停止するというのをみた。館長がその現状を綴った文章をみて何故だか自分の図書館との関わりを振り返ってみたくなった。

 

それは随分昔の記憶で、私にとって図書館の原風景である。走り回って遊ぶ子どもではなく、静かな子だった。具体的なことというより小学校の傾斜がついた本棚に腰掛けている場面だ。多分そのときの司書さんに勧められたのだろうが、ミヒャエル・エンデの『モモ』を初めて手にしたのが小学校高学年のときだったと思う。未だに自宅の本棚にあり、大人になってからも何度か読んでいる。『はだしのゲン』も『火の鳥』もここで初めて読んだのだと思う。

 

中学になり、休み時間に居場所がなかった私は図書館にいた。ひとりで居てもここなら平気な気がしていた。小中とかるいいじめられっこだった私にとって図書館は、本との出合いもさることながら、ただ居てもいいよと肯定される場であり逃げ場所の役割が大きかったように思う。司書さんの名前も顔も思い出せないけれど、優しくおだやかですべてをわかったうえで受け入れてくれる人という印象だけはある。

 

高校になって思い出すのは学校の図書館ではなく、今は新潟市東地区総合庁舎になっている建物だ。以前はかなり古い図書館と自習室のようなものが2階に併設されていたはずだ。仕事帰りの父の車で一緒に帰るため、そこで待ち合わせをよくしていた(と言っても仲が良かったわけでなく誰かの迎えがないと帰れなかっただけで、反抗期真っ只。車中は会話らしい会話はしていなかったと思う)。そこで試験勉強的なこともしていた。古いドアノブをまわすとぎいっと音が響く静かなしずかな部屋だった。でもそれに飽きると隣りの本棚に行き、棚を眺めていた。その頃はもう写真の学校に行きたいと思っていたから、タイトルも作家も覚えていないが空の写真集を何度も何度も見ていた。

 

新潟に戻ってきた頃、店を開くため店舗を探しまわる日々が数ヶ月続いた。見つからないことに焦り、プー太郎で居心地の悪い日々だった。行くところがなく、ほんぽーとに入り浸っていた。とりあえず「新潟」のコーナーで少しでも知識を付けたいとそこから何か読んでいた。何かしているという形だけでもほしかったのだろう。そのとき橋本照嵩さんの『瞽女』をちゃんと見たのだった。

 

熱心に通い詰めるわけでも本の虫でもなかったが、こうやって思い返してみると図書館には随分救われてきた。図書館はいつだってどうしようもない状態の私にやさしく開いていた。

 

本屋を生業にしてから、お客さんとして司書さんが来てくれることがある。出会った人たちはみな使命感や愛情をもって仕事に取り組まれていた。それはいつかの司書さんの優しい印象と重なる。だからこそ専門職の担う役割を軽視する昨今の状況に本当に危機感を抱く。居場所のなかった私を受け入れてくれた図書館と司書さんにいまの私が出来ることはなんだろうか。

2020-12-13 13:45:03
店舗とWEB
店舗とWEB

ある本が再版された。古本が高騰していることに作家自身疑問を持ったこともあるそうだ。待ちにまっていた!と小店でも扱わせてもらえることになった。WEBに載せたら店頭で見てもらう前にきっと完売してしまう。全国にはその本をほしいと望んでいる人がたくさんいることがSNS上でも感じられた。以前同じようなことがあったから、今回はまずは店頭だけでの販売にした。

ひとつ試してみたかったのだ。この街にもこの本をほしいと探しまわっている人がいるのではないかと。この街で買えることを楽しみにして来てくれる人がいるのではと。その人に届けたかった。希望を持ちたかったのだ。

早速全国に卸されたその本。WEBSTOREでも販売しているところは往往にして完売が目立つように思う。やはり動きが早い。そのTLを横目に何冊か詰まれたその本をみる。私はその本をWEBにアップするのだろうか。そんな暇なく完売することを願うのは甘いのだろうか。自分から見たくないものを見に行っているのだろうか。

2020-11-30 16:27:47
何を優先するのか
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出来ること、出来ないこと、やりたいこと、やりたくないこと、手を出すこと、手を引くこと、その組み合わせで物事は進んでいる気がする。

ある人と話していると、もっとこうしたらいいのにと頭に浮かぶ。同じように相手ももっとあーしたらいいのにと思っていることだろう。客観的にみたらそれらはシンプルだったりする。その通りに動けたらどんなに良いだろう。自分自身をもどかしく感じることも多々ある。そこで躊躇するからいけないんだとわかっている。何かを成すためには、何かを犠牲にしないといけないことがあるともう知っている。

 

結局私もこの店も端からみたら、もっと出来ることあるのに、中途半端でもったいないなぁ〜ということになるんだろう。それでも出来たこと、やってきたこと、かたちにしたものをかき集めて、出来ないこと、やりたくないこと、手を出さなかったことを逡巡しながら店を開けていることしかできない。

2020-11-16 13:39:47
好奇心と倫理観
好奇心と倫理観

人の好奇心はときに大きな力を持ち、何かをするパワーになる。人生において不可欠な感覚だと思っている。それ故、無作為に人を傷つけたり、差別を生んでしまうことがある。Twitterをみていたら、ある記事が炎上していた。今の自分ならそれの問題点がわかる。けれどそれを読んだとき別の意味で胸が痛くなった。なぜなら自分も同じように行動したことがあったからだ。

学生時代、人と違うものを撮りたくて、都会ならではのものをと、私は完全に安易な好奇心と興味で近づいた。“写真学生”という立場を利用していた。その人たちの生活や人生、おかれている状況を顧みなかった。カメラは暴力性も持っていることを無視した。常に持っていなければいけない感覚を捨て去っていたその無邪気さがいまはとても恥ずかしい。そしてそのとき、そんな私に対し、優しくしてくださった方々の寛容さと笑顔が忘れられない。あのときその人は何を思っていたのだろう。

自分の中にある、無自覚の差別意識がこわい。

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