日々

#思考整理備忘録
2017-10-16 02:28:29
都会への劣等感と自尊心

先日都会に行ってきた。

久しぶりの東京は、相変わらず知らないワタシやボクをどんどん受け入れてくれる。

自分は何者でもなくて、気楽だと思った。

けど、ふと 新潟の景色やお店や人を思い出していた。

自分でも少し驚いた。都会の空気にもうなじめないのかもなあと思う。

 

何でだろうと思ったが、展示を見に行って感じたことがある。

敷居が高いなぁ、、と。

もちろん販売を目的としているギャラリーなのだから、

こんな見るからにお金を持っていなそうで知らなそうな人は相手にしないだろう。

だからと言って、ぴったりくっついて接客してほしいわけでもない。

もちろん、襟を正してピシッとして見に行くような場所も大事だと思っている。

 

ただ、この人の展示をみたいと思ったとき、その前まで行ったのに

入らず帰ってしまった。。なんてことはあってほしくないと思った。

ドキドキするけど入らない(エレベーターに乗って降りてを2回ほど繰り返したけど)、

なんてことはもうしないけど、入りやすさは大事だ。

「こんにちは」って一言、言ってくれるだけでも違うもんなあ。

 

そう思ったとき、私が目指している場所はこういうところではないと実感する。

 

持ち前の引っ込み思案でお店に来てくれたお客さんに、

「いらっしゃいませ」「こんにちは」以外何も言えない時期があった。

 

客観的に店を見てくれた人から、もっと声をかけた方がいいよと言われ、

それから自分なりの「声かけ強化月間」がいまだに続いている。

 

自分が個人商店に行ったなら、その店主の人と話してみたいと思う。

そしてうちは襟を正してくるようなところではないから気軽に会話もしたい。

 

「この前こんなことがあって、、」「このお店ってなんで、、」など、

少し話をしてその人に取って少しだけ余韻が残るようなお店で居たいのだ。

 

別に何かを真似した“都会のあの店”になりたいわけではない。

そこに劣等感を抱く必要はない。

むしろ、“いまここでしているお店”に向き合うことの方が

よっぽど大事なことだと気づかせてくれた。

2017-07-13 22:06:30
思い出ってやつです

ハーフカメラは、36枚撮りのフィルムを入れると72枚撮れる。

ようやく撮り終えたそれを現像すると、去年の冬の写真からはじまっていた。

 

忘れてしまっていた景色が思い起される。

どの写真もなんてことない瞬間だ。

 

この写真は、このときのことを忘れたくなくて撮った。

そのとき話したことは、もう実現することはない。

むしろ今となっては少しこころをえぐられるような話だ。

 

あー、と思う写真もあるけれど、

やっぱりそれらをとても愛おしいと思う。

 

だからまたフィルムを入れシャッターを押すのだろう。

写真は、私の記憶そのものでもあるのだから。

 

2017-07-10 17:33:08
写真は過去からの手紙のようなもの

じいちゃんのアルバムがとにかくいい!

なんでだろうと思ったが、難しいことなんかはなくって、

しあわせな時間が写っているからだと思う。

写真が持つ記録性がいかんなく発揮されている。

旅行、家族、結婚式、同窓会、家を建てた、祭り、記念写真など

ことあるごとに写真を撮って、几帳面にアルバムにまとめている。

 

じいちゃんは、私が中学生のときに亡くなっている。

なんともう、じいちゃんが生きていた年月よりいない年月の方が長くなった。

記憶に残っているじいちゃんは、もうすでに“じいちゃん”で、

写真に写っているじいちゃんは、私の知らないひとりのおじさんで。

そのおじさんはよく登場して、よく笑い、楽しそうなのだ。

 

その写真を見ていると、写真は過去の出来事が写っているのに、

見ている私は今を生きていて、知らないけど知っているその人たちがこっちに視線を向けてくる。

 

「元気か?」「楽しんでるのか?」「がんばれよ!」とか言われているみたい。

その頃のじいちゃんに会うことはどうやったって無理なのだけど、

「じいちゃん、すごい楽しそうだね」「私もいま楽しいよ」とか言いながら

写真を通して、会話をしているみたいに思う。

 

写真を撮っておくっていいな、アルバムっていいなと、ただただ思った。

それは、撮ったとき見てももちろん良いんだけど、

年月が経って、違う誰かが見たときに良さが増すのかもしれないなあ。

その人に思いを馳せたり、想像したりしてさ。

 

 

「私は元気にやってるよ」

 

2017-05-29 03:08:17
店主のエゴ

最近よく考えていること。。

 

店主のエゴでしかないが、お店に来てほしい。

置いてある本を手に取ってみてほしい。

企画している展示を見てほしい。

企画しているイベントに参加してほしい。

 

そのどれもが、みずからが体験することである。

 

なんでもいいと思って本を選んではいないし、

この作品を見てもらいたいから展示をする、

この作家を知ってほしいからトークをする。

 

いまは、インターネットである程度は知れるかもしれないけれど、それはすべてではない。

手に取れるものがあるなら、眼で見れるものがあるなら、話を聞ける人が居るなら

それを自分でみて感じてほしい。

 

 

私は、自分が良いよ!って思うものを押し付けがましいくらいに

提示しているかもしれない。

それがうっとおしいと思う人もいるだろう。

でも私は、知ってもらいたいという気持ちがつよいのだと思う。

 

それで、つまらない、面白くない、わからない でもいい。

もちろん、すごいおもしろかった、素敵、かっこいい でもいい。

感想はひとそれぞれでいい。

 

あなたにとって、良いと思わないものが、

誰かにとって、人生観変わるくらいのものになるかもしれない。

 

それがどれかなんて誰にもわからない。

けど、だからこそたのしいし、ワクワクする。

私ももっともっと見たい、聞きたい、出会いたい。

そういう偶然の出会いみたいなのがある場が、

私がやっていきたい“本屋”なのかなと思う。

2017-04-13 00:06:17
皺すらも愛おしい

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この撮影をお願いしてもらえたこと、すごくすごく嬉しかった。

またお願いしたいといってもらえて、もっともっと嬉しくなった。

 

もっと一緒に、もっといろんな景色をみたかった。

つくってほしい服があったのに。

 

 

凛とした空気、やさしい手、妥協のない仕事、

緊張感のある空間での撮影が終わったあと、

お茶飲んでいってもいい?といつもの笑顔で話をしていった。

 

こんなにもひとりひとりと思い出がある人もいない。

 

これからもずっと着ていく。

残された人たちは、これからも一緒に生きていく。

 

 

2017.4.12

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